IT翻訳者の疑問

この業界に入って約20年。私の疑問は相変わらず解決しません。

フィードバックの意味

先日の日記で、なぜ妙な手法が流行するかが不思議だと書きましたが、一つ思い当たることがあります。それは翻訳会社(特に二次ベンダー)からのフィードバックです。「このクライアントは自社のことを『弊社』ではなく『我々』と呼ぶ」といった、クライアント独自の表記の指示があればもちろん従いますが、時には翻訳手法にまで踏み込んだ、ちょっとそれには従いたくないよなあと思う“フィードバック”がくることもあります。具体的にどういうのかというと、今までこの日記に書いてきたようなことです。翻訳会社の“チェッカ”は本当にそれでいいと思ってやっているのか。
たぶん、翻訳メモリー(TM)にそういう訳が入っていて、前から使われているのだからそれに合わせようという方針なのだと思います。あと、先日書いたような、中途半端なスタイルガイドの指示を機械的に当てはめたがる翻訳会社も困りものですが、無難に済ませたいという気持ちはわかります。クライアントの機嫌を損ねて仕事がなくなったら困りますし。だからといって、昔からの変な訳し方をいつまでも踏襲するのはどうかと思います。
言ってはなんですが、TMに入ってる訳なんて誰がレビューしたかわかりませんよ。10年ぐらい前ならともかく、今はマニュアルの訳をクライアント企業がフルレビューすることは少ないと思います。レビューしたとしても、その企業の製品のことも英語のことも翻訳のことも知り抜いた人間がクライアント企業内に何人いるか。MLVだってせいぜいサンプルチェックで、あとは二次ベンダーに丸投げしてることも多いのではないでしょうか。日本語を読んだだけで笑ってしまうような訳を放置してるくせに、枝葉末節的なことをあれこれ指摘されると、品質ってなんだっけと考えてしまいます。
そういえば以前、逆にこちらが翻訳会社の立場で、二次請けのベンダー宛てにフィードバックを書いたら、ことごとく「それは好みの問題だ」で済まされたことがあります。一読して意味がわからないのはエラーだと思ったのですが。考えかたも人それぞれですねえ。

peopleはいつから「ユーザー」になったのか

Googleの「Picasa 3.9 の新機能」というページ(http://support.google.com/picasa/bin/answer.py?hl=ja&answer=93773)で見かけた表現です。

Google+ のサークルと共有する -- Google+ に参加している場合は、Picasa 3.9 を使用して、Google+ で作成したサークルと直接共有することができます。サークルのユーザーの各自の Google+ ストリームに、あなたの写真や動画が表示されます。Google+ を使用していないユーザーにも Google+ のアルバムを表示するためのメールが届き、Google+ に参加しなくても表示することができます。

Picasaという画像管理ツールは、無料のわりになかなか便利なのでよく使っていますが、Google+は使っていないので、ここに書かれていることは私には関係ないといえばないことです。しかし、「サークルのユーザー」や「Google+ を使用していないユーザー」がどうもひっかかります。
英語版のページ(http://support.google.com/picasa/bin/answer.py?hl=en&answer=93773)を見ると、

Share to your Google+ circles -- If you've joined Google+, you can use Picasa 3.9 to share directly to the circles you've created in Google+. They'll see your photos and videos in their Google+ stream. People that don't use Google+ aren't left out. They'll get an email to view your album in Google+, and they don't have to join to do so.

となっています。自分がGoogle+で作ったサークルに入っている人を「サークルのユーザー」と呼んでいるようですが、その「ユーザー(user)」はいったい何を使って(use)いるのか? Google+を使っている人を指しているのか? でも「Google+ を使用していないユーザー」という表現もあります。Picasaのユーザーということか?
「サークルのメンバー」「Google+を使用していない人」でいいじゃないかと思いますが、なぜこうなったかを考えると、英日翻訳の仕事のときにありがちな指示を思い出します。

youは訳出しない。どうしても訳出する必要があるときは「ユーザー」などと訳す。

というやつです。あれを機械的に当てはめるとこうなってしまうのかもしれません。
このGoogleのWebページに限らず、ふだん私のところに回ってくるレビューの案件でも、「人」でよいところを「ユーザー」で「統一」しているケースをよく見かけます。翻訳者の多くは在宅フリーランスでバラバラに活動しているはずだし、オンサイトという形態でも訳出のしかたをいちいち相談したりはしないので(私の場合)、なぜこのような妙な手法が流行するのか、いつものことながら不思議です。

アピールしたいポイントが見えてこないマーケティング文書

早いもので、もう年末です。翻訳支援ツールのベンダーすら年末キャンペーンを始める時期になりました。ダイレクトメールも製品Webページも、見るといろいろ言いたくなりますが、一つだけ書き留めておきます。

http://www.translationzone.com/jp/translator-products/sdl-trados-studio-freelance/default.asp#tab3

レビューが容易
Studio 2011では、理想的な翻訳の提供を目的とするドキュメントのレビューや他のスタッフとの連携が、これまで以上に簡単に行えるようになりました。 Studioユーザーだけでなく、ファイルをMicrosoft Wordでしかレビューできない、翻訳対象コンテンツに精通している専門家や同僚とも連携できるのです。 注目の機能を一部ご紹介しましょう。

この文章を読んで引っかかりませんか? 「ファイルをMicrosoft Wordでしかレビューできない、翻訳対象コンテンツに精通している専門家や同僚」のところです。「ファイルをMicrosoft Wordでしかレビューできない」とはいったいどんな頑固者なのか。「ファイルをMicrosoft Wordでしかレビューできない」と「翻訳対象コンテンツに精通している」は並列可能なのか。
英語版のページを見ると、次のように書かれています。
http://www.translationzone.com/en/translator-products/sdl-trados-studio-freelance/default.asp#tab3

Review MadeEASY

With Studio 2011 reviewing documents and collaborating with other people to deliver the perfect translation is easier than ever before. Not only is collaboration possible with other Studio users but also with subject matter experts and other colleagues who can review your files simply by using Microsoft Word. Here are some of the highlights:

問題のセンテンスを区切りながら読むと、
Not only is collaboration possible with other Studio users(他のStudioユーザーとの共同作業だけでなく)
but also with subject matter experts and other colleagues who can review your files (翻訳したファイルをレビューしてくれる、その分野の専門家などとの共同作業も可能です)
simply by (その方法は簡単で)
using Microsoft Word.(MS Wordを使うのです)

という、非常にわかりやすい英文なのですが、日本語に訳すとなぜ、ああなってしまうのか。
実は、このような訳文は私のふだんの仕事でもたびたび遭遇します。念のため書いておきますが、ここでtranslationzone.comの文章を取り上げているのは、変な訳の指摘を趣味にしているからではありません。ふだんの仕事で遭遇する、ちょっと困った訳文と同じ傾向が現れているからであり、困らないようにするにはどうすればよいかを考えるために、サンプルとして使わせてもらっています(仕事で遭遇した文章をそのままブログに書くわけにはいきませんので)。
で、なぜ「ファイルをMicrosoft Wordでしかレビューできない、翻訳対象コンテンツに精通している専門家や同僚とも連携できるのです。」という日本語になってしまうかというと、ひとつは英文の主部の動詞を日本語の述語に持ってこようとしているからだと思います。collaboration is possibleのところですね。しかし、英文では初めの方に現れる動詞を、日本語では最後に持ってくるわけですから、無理が生じます。センテンスが短ければあまり問題にはなりませんが、長くなると、英文の最後に重要なことを言っているかもしれないのに、日本語訳ではその部分が埋もれてしまうので、アピールしたいポイントが見えにくくなります。「ファイルをMicrosoft Wordでしかレビューできない、翻訳対象コンテンツに精通している専門家や同僚」のあたりは、「who can review your files simply by using Microsoft Word」をひとまとまりの修飾と解釈した結果でしょうか。「でしか」はどこから来たのでしょう。simplyでしょうか。原文の単語を一つ一つ日本語の単語に置き換えるのが「忠実な訳」という考え方が未だに残っているのでしょうか。
こうやってWebサイトの形になったものを見てみると、いろいろな角度から2011について説明しているので、Not only is collaboration possible...の文章が言おうとしていることもすぐに理解できそうなはずですが、実際の翻訳作業のときはこういう形で原典を参照することはできなかったのかもしれません。ソフトウェアやWebサイトに限らず、最近は書籍のローカライズでもスケジュールが非常にタイトで、「お尻」だけ決まっているのになかなか原稿がフィックスしないということもあるそうですが、どこも大変ですね。

メモリーの再利用性はそんなに大事なことなのか

9月28日の日記にいただいたコメントを読んで思い出したのですが、私もずっと前、「翻訳メモリーを再利用できるように訳せ」という指示をもらったことがあります。そのセンテンスがどんな文脈に出現しても訳がそのまま使えるようにしろということですが、当時は私もおとなしく従ってました。よく考えると、TMの再利用性を優先するなんてナンセンスですけどね。最近では、Tradosなどの翻訳メモリーツールにもコンテキストマッチ機能が追加されたこともあり、再利用性のことをうるさく言われることもなくなりました。TMのオーナーがTMの管理に手間暇かけていられないというのもあるかもしれません。
しかし、最近では再び、再利用性のことを言われることがあるそうです。私自身の経験でも、Trados以外の翻訳支援ツールを使う機会が増えてきましたが、新しいツールはTM管理機能が今一つのことが多いような気がします。おそらく、そういうツールがコンテキストマッチにまで対応していないので、原文と訳文を1:1にして次回アップデートのときは100%マッチ分を何もしないで済ませたいのでしょう。そうでなければ、10年前から考え方が変わっていない人がリードをやっているのか。
でも、エンドユーザーにとっては、そんな裏事情はどうでもいいことですよね。9月28日の日記で取り上げたMSのWebサイトがどういう工程でローカライズされているかは知りませんが、「日本語がちょっと変なのはツールを使っているから」という言い訳は、ローカライズ業界内でしか通用しないでしょう。他の分野の人にまた馬鹿にされてしまいますよ。

原文著者が伝えたいことを理解しなくて翻訳できるのか?

しばらく翻訳の仕事が続いていて、私にとっては比較的平穏な日々でしたが、レビューの仕事が回ってきてしまいました。オンサイトの仕事だとしかたないですね。レビューの対象はソフトウェア開発者向けのドキュメントなので、間違いなく「IT翻訳」に分類されるものですが、色々な点で相変わらずで、ため息が出てしまいます。英語の原文の著者が伝えようとしたことを理解しようとしていない翻訳者が、一人や二人じゃないんです。「ITだから原文に忠実に訳しておけばOK」などという翻訳会社がないわけではありませんが、「原文に忠実」って「英文の構造を忠実に日本語訳に反映」ではありませんよね。でも、そういう翻訳者が今まで仕事を続けてきたということは、そういうやり方が受け入れられているということですね。一体だれが受け入れているんだ。
私のところに回ってくるような案件に似た文書はいくらでもWeb上で見つかります。たとえば、http://msdn.microsoft.com/ja-jp/library/bb399127.aspxの書き出しの文章である

Team Foundation ビルドのプロジェクト ファイルである TFSBuild.proj は、SolutionToBuild 項目グループのビルドに対してプロパティとターゲットを渡すことで、カスタマイズできます。 SolutionToBuild 項目グループのビルドに対してソリューションの追加や削除を行うこともできます。

は英語から翻訳されたものですが、この文章ってわかりやすいですか? 原文は

The Team Foundation Build project file, TFSBuild.proj, can be customized by passing properties and targets to the build in the SolutionToBuild item group. You can also add or remove solutions to build in the SolutionToBuild item group.

ですが、日本語訳は正しいと言えるでしょうか? 「SolutionToBuild 項目グループのカスタマイズ」というタイトルの文章なのに、「カスタマイズできます」はあえて強調する必要があるのでしょうか。強調といっても、太字にするとか音量を上げるとかではなくて、著者が読者に伝えたい「新情報」のことです。私がふだんの仕事で扱う文章のほとんどはプロのライターが書いたものであり、したがって論理的な文章の書き方がされているはずなので、日本語に訳すときもその論理の流れをくずすべきではないと思います。上に挙げた例はまだ短いほうですが、もっと長いセンテンスを日本語でも無理矢理1センテンスで訳してしまう人は結構います。わかりやすく伝えようとしたら、逐語訳から一歩踏み込んで文の構成を考え直すことが必要だと思います。とりとめのない感想ですが、レビューの仕事をしているとストレスがたまってしまうので、つい書き散らしてしまいました。

マイクロソフトのスタイルガイド更新

http://www.microsoft.com/Language/ja-jp/Default.aspxの「最新のブログ記事」の下に「New and updated Microsoft Style Guides for 38 languages released」というリンクがありますが、マイクロソフトの公開用スタイルガイドが更新されたようです。リンク先の投稿の日付は8月11日になっていますが、ダウンロードしたPDFの中には「Last Updated: February 2011」と書かれています。
前のバージョンの公開版と何が変わったか? まず、日本語スタイルガイドなのに英語で書かれているところでしょう。もっとも、日本語に限らず、他の言語でもそうなっています。他の企業のプロジェクトでも、英語で書かれたスタイルガイドは最近よく見かけます。管理する側はやりやすいかもしれませんが、使う側にとってはかなり使いにくくなっています。こういう仕事をしてるので英語ぐらいは読めますが、斜め読みができないんですよね。このMSスタイルガイドは全部で79ページもあって、知りたい情報がなかなか探し出せません。構成を全言語で統一したのかどうかは知りませんが、前後の脈絡がないんですよね。使う側の理想を言わせてもらえれば、最低限守る必要のある規則と、それ以外のガイドラインは分けた方がよいと思います。「Avoid using “〜させる” unless it is necessary.」などというガイドラインを書き出したら、きりがないので。前のバージョン(日本語スタイル ガイド公開版第1版)はまだ、MS以外の人にとっても参考になるものでしたが、今回のは正直どうなんでしょう。