IT翻訳者の疑問

この業界に入って約20年。私の疑問は相変わらず解決しません。

「...では、...します」

「...では、...します」というパターンの訳し方を最近よく目にします。たとえば、http://msdn2.microsoft.com/ja-jp/library/ms190615.aspx

通常、アプリケーションから、ロックが直接要求されることはありません。ロックは、データベース エンジン のロック マネージャにより、内部で管理されます。データベース エンジン のインスタンスTransact-SQL ステートメントが処理されると、データベース エンジン のクエリプロセッサにより、アクセスするリソースが判断されます。クエリプロセッサでは、アクセスの種類とトランザクションの分離レベルの設定に基づいて、各リソースを保護するために必要なロックの種類が決定されます。その後、クエリ プロセッサから、ロック マネージャに適切なロックが要求されます。ロックマネージャでは、別のトランザクションで保持されているロックに競合するロックがない場合、要求されたロックを許可します。

の「ロックマネージャでは、(中略)要求されたロックを許可します。」の部分です。英語(http://msdn2.microsoft.com/en-us/library/ms190615.aspx)では、

The lock manager grants the locks if there are no conflicting locks held by other transactions.

となっているので、

ロックマネージャは、別のトランザクションで保持されているロックに競合するロックがない場合、要求されたロックを許可します。

と訳せばよいと思うのですが、なぜ「では」という助詞を使うのでしょうか?
これが、たまたま、ある翻訳会社経由のあるクライアントの仕事で支給されたメモリで見つかったというのなら別に問題にはしませんが、別の翻訳会社経由の別のクライアントの過去訳でも見つかるのです。想像ですが、「無生物主語を使ってはならない」と言われるので「で」を補って解決するというテクニック(?)がいつの間にか流行していると。
スタイルガイドには、「人間の動作は能動態で、コンピュータの動作は主語を省いて受動態で訳す」などと書かれていますが、このようなコンピュータ内部の動作の解説では受動態が続いて何だか鬱陶しくなってきます。そういう場合は能動態でもよいと思うのですが、ダメなんでしょうか。
そもそも、「通常、アプリケーションから、」で始まる段落がずっと受動態なのに、最後だけ「許可します」という能動態になっているのがおかしいですよね。いきなり能動態になると、動作の主体が誰だかわからなくなるので、ユーザーの操作とコンピュータの動作を交互に述べている場合などは問題になりかねません。「別のトランザクションで保持されているロックに競合するロックがない場合」というのも意味不明だし…。