IT翻訳者の疑問

この業界に入って約20年。私の疑問は相変わらず解決しません。

「たり」の使い方が不適切である理由をうまく説明できない

support.apple.comこのページでの「たり」の使い方に違和感があり、自分ではこういう使い方をしたくないのですが、なぜそうしたくないかをうまく説明できません。とりあえずメモしておきます。英語のテキストは Browse the web using Safari on iPad - Apple Support からです。

Safari App では、Webをブラウズしたり、後で読めるようWebページを「リーディングリスト」に追加したり、ページアイコンをホーム画面に追加してすばやくアクセスできるようにしたりできます。すべてのデバイスで同じApple IDを使ってiCloudにサインインしている場合、ほかのデバイスで開いているページを表示したり、すべてのデバイス上でブックマーク、履歴、およびリーディングリストを最新の状態に保ったりすることができます。 

With the Safari app , you can browse the web, add webpages to your reading list to read later, and add page icons to the Home screen for quick access. If you sign in to iCloud with the same Apple ID on all your devices, you can see pages you have open on other devices, and keep your bookmarks, history, and reading list up to date on all your devices.

 

「表示」メニューを使用して、テキストサイズを大きくまたは小さくしたり、リーダー表示に切り替えたり、プライバシーの制限を指定したりできます。 

Use the View menu to increase or decrease the text size, switch to Reader view, specify privacy restrictions, and more.

 

ダウンロードボタン をタップすると、ダウンロード中のファイルの状況を確認したり、ダウンロード済みのファイルにすばやくアクセスしたり、ダウンロード済みのファイルを、作業中の別のファイルやメールにドラッグしたりできます。 

Tap the Downloads button to check the status of a file you’re downloading, to access downloaded files quickly, or to drag a downloaded file onto another file or into an email you’re working on.

 

コンピューターウイルス関連の文章のquarantineの訳は「検疫」でよいのか

私が英日翻訳の仕事でquarantineという単語に遭遇するときの文脈は、ほぼ100%がコンピューターウイルスです。そのような案件の用語集にはたいてい、quarantineの横に「検疫」という日本語訳があります。そうすると、たとえば画面項目として「Quarantine」というストリングがあったら日本語訳も「検疫」となりますね。「quarantined message」は「検疫済みメッセージ」、「This message has been quarantined」は「このメッセージは検疫されました」。

でも、本当にこれでよいのでしょうか。「メッセージは検疫されました」という日本語のテキストを読んだ人はどう解釈するか。海外旅行から帰国したときに空港の入国審査場に行く手前にある「検疫」も確か「Quarantine」だから、あそこを通過するイメージで、メッセージの検査が終わったと解釈されるかもしれません。国語辞典でも、「検疫」の説明は“検査して必要に応じて隔離や消毒などの措置をとること”などと書かれています。

quarantineという言葉はもちろん、元々は人間や動物の伝染病拡大予防について述べるときに使われていたものであり、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の大流行が始まってからは私が目にすることも一気に増えました。米国CDCの「Quarantine If You Might Be Sick」という記事(https://www.cdc.gov/coronavirus/2019-ncov/if-you-are-sick/quarantine.html)には、次のような文章があります。

Quarantine is used to keep someone who might have been exposed to COVID-19 away from others. Quarantine helps prevent spread of disease that can occur before a person knows they are sick or if they are infected with the virus without feeling symptoms. People in quarantine should stay home, separate themselves from others, monitor their health, and follow directions from their state or local health department. 

これは「検疫」ではありませんよね。「隔離」でしょう。コンピューターウイルス関連の文章でも、同じような意味で使われていると思います。だから「このメッセージは検疫されました」ではなく「このメッセージは隔離されました」とすべきでしょう。

実務翻訳の仕事ではもちろん、支給された用語集に従うことは必須ですが、指定された訳語を使った結果の訳文がなんだか変だったら、用語集を疑ってみることも必要です。用語集だって人間が作っているものなのだから、完全ということはありえません。

 

翻訳対象のセンテンスの文脈を分析するのは翻訳者の仕事ですか?

最近は少し時間の余裕ができたので、改めて基本に戻ってみようと思い、積ん読になっていた参考書を読み返してみたりしています。「良い翻訳とはどういうものか」についてのコンセンサスが、業界内でも取れていないように思えるので、有識者による「翻訳はこうやってするものだ」という解説を求めているのです。

 

 この本は、「翻訳に必要な基本スキルは5つだけ」として、英文を日本語に訳す前に原文分析の重要性を述べているところはとてもよいと思います。でも、そのスキルを具体的に活用する方法の説明に使われている例というのがOptimists can cope more effectively with stress.というセンテンス1つだけです。センテンス1つだけを訳せと言われて訳す気になりますか?  確かに「この英文は、どのような内容の文章からの一節なのか。もう少し詳しい文脈を知りたい。」という「原文分析スキル」の適用の説明にはなっていますが、それって翻訳する人が分析するものなのでしょうか?

なぜ「翻訳」するかといえば、単なる英文解釈ではなく、訳した結果の日本語を何らかの用途で使いたいからですよね。この文章を「翻訳」しようと決めた時点で、その文章は誰に向けたどういう文章かがわかっているはずなので、それを翻訳者が推測するのは本来のやり方ではないと思います。

もっとも、現実問題としては、文脈もよくわからないテキストを「翻訳」しろと言われることはしょっちゅうです。発注元企業から翻訳会社がテキストを受け取って、ろくに分析しないまま翻訳者に発注するからですが。Web上で公開されているドキュメントなら検索で見つけてレイアウトを確認することもできますが、そうではない文書をxml形式でもらっても、どれがどこに表示されるかを推測するのはほんとうに大変です。

ソフトウェアのシステム要件を聞かれたらOSの次に何を答えますか?

www.sdl.com上記のページの「SDL Trados Studio 2019のシステム要件を教えてください。」という質問への回答は、次のように書かれています。

SDL Trados Studio 2019は、Microsoft Windows 7、Windows 8.1、Windows 10をサポートしています。

最小要件として、8 GBのRAMを搭載し、1024x768のモニタ解像度を備えたIntelまたはIntel互換のCPUベースのコンピュータを推奨します。

最適なパフォーマンスを実現するには、64ビット版オペレーティングシステム、16 GBのRAM、SSDドライブ、Intelの最新のCPUまたは互換性のあるCPUを推奨します。4K高解像度ディスプレイの完全サポートを計画しており、今後のリリースで追加機能として導入される予定です。表示問題の対処方法について詳しくは、このナレッジベース(KB)の記事でご確認ください。また、このKB記事で説明する修正を実施するアプリをSDL AppStoreから取得して実行することもできます。

 Trados StudioがWindows 7と8.1と10をサポートしているのはわかりました。問題はその次の文です。https://www.sdl.com/software-and-services/translation-software/sdl-trados-studio/faqs.htmlにある英語での説明と並べてみます。

最小要件として、8 GBのRAMを搭載し、1024x768のモニタ解像度を備えたIntelまたはIntel互換のCPUベースのコンピュータを推奨します。

As a minimum requirement, we recommend an Intel or compatible CPU-based computer with 8 GB RAM and a screen resolution of 1024x768. 

日本語のページは英語から翻訳されたものと想定していますが、この訳は正しいと言えるでしょうか。英語の原文に書かれていることは日本語訳にも、もれなく書かれているといえます。しかし、原文のrecommend an Intel or compatible CPU-based computerを日本語訳でも述部に置いて、それ以外の修飾語を前に持ってくるというやり方は適切でしょうか。

これはWebサイトのFAQのページに書かれている文章ですが、もし、コールセンターへの問い合わせで「システム要件を教えてください」と質問されたら、口頭でどう答えるでしょうか。メモリよりプロセッサが先じゃないかなあ。たとえば「SDL Trados Studio 2019は、Microsoft Windows 7Windows 8.1Windows 10で動作します。コンピュータの最小要件は、Intel製または互換性のあるCPUとメモリ8 GB、モニタ解像度1024x768となっています。」のように。

私がいる業界ではよく、翻訳の品質が数値化されますが、エラーやその重大度の判断基準を見ても、情報を伝える順序についてはあまり重視されていないように思います。「読みやすさ」に含まれているのだろうか。

 

以上のことを書いてから、英語版のページをもう一度見てみたら、次のFor optimum performanceで始まるセンテンスはOSの次にメモリサイズ、ディスクドライブ、CPUの順に述べているんですね。これに合わせたのか……?

For optimum performance, we recommend a 64-bit operating system, 16 GB RAM, an SSD drive and a recent Intel or compatible CPU. Full support for 4K hi-resolution screens is planned and will be implemented incrementally in future releases. You can find more information on how to deal with display issues in this Knowledge Base (KB) article or by running an application from the SDL AppStore which implements a fix, mentioned in the KB article. 

 そして、自分が3年前にも取り上げていたことを「関連記事」で思い出しました。当時はメモリが2GBあればよかったようです。

jacquelinet.hatenablog.com

英日翻訳のときに頭から訳す理由

「頭から訳す」は「訳し下ろす」と言った方がいいのかもしれませんが、いずれにしても、そうするのは情報を提示する順序が原文でも訳文でも同じになるようにするためです。

 

英文翻訳術 (ちくま学芸文庫)

英文翻訳術 (ちくま学芸文庫)

 

 安西徹雄『英文翻訳術』の序章の最初の節「原文の思考の流れを乱すな」にも次のような記述があります。

 文法の枠組に入る前に、まず、すべての前提となる点をいくつか最初に書いておきたい。その第一は、原文の思考の流れを乱すなということ――つまり、もっと具体的にいえば、原文で単語や句の並んでいる順序をできるだけ変えないで、頭から順に訳しおろしてゆくように心がけるということである。

 もちろん、英語と日本語では、文の構成の仕方が根本的にちがうから、英文解釈の原則そのままに訳してゆけば、当然、原文の単語や句の順序を大いに乱して、うしろから前に逆に訳し戻すという結果になってしまう。けれどもこうしたやり方では、非常に具合の悪いことがいくつも出てくる。

 これに続く解説を読むと、英文の動詞をそのまま日本語の述語に持ってくるような直訳では原文の思考の流れが訳文に反映できないことがよくわかります。例文の一部を引用しておきます。

Mishima Yukio used to be fond of saying that Japan and the United States should have another war. It took a war to make Americans interested in Japan, he said, and if there were signs that the interest was lagging, then the time had come for another war.

 「戦争」という一句を連結器にして最初の文から次の文へと思考の流れが受け渡されていく、という著者の解説はとてもよく理解できます。だから「三島由紀夫はかつて、~と語ることを大いに好んでいた」という直訳ではなく、「三島由紀夫が、生前、好んで語っていたことがある。日本とアメリカは、もう一度戦争すべきだ。」と翻訳するのが適切であることも。

Microsoftの製品ファミリとカルチャ

jacquelinet.hatenablog.com

2008年7月、Micorosoftは日本語文書での外来語カタカナ表記規則を変更し、それ以来printerは「プリンタ」ではなく「プリンター」、computerは「コンピュータ」ではなく「コンピューター」と書かれることになりました。この変更の理由は、今も残っているネット記事(https://www.atmarkit.co.jp/news/200807/25/microsoft.html)によれば

 マイクロソフトはコンピュータが日常必需品となり一般化してくるにつれて、長音なしの表記に対してユーザーが違和感を感じるようになっているとし、「一般的な表記に合わせる時期」(加治佐氏)と判断。2003年ごろから具体的な検討を始めた。これまで画面表示領域やメモリ容量の制限などから、コンピュータ業界では長音記号を省略するケースが多かったが「ハードウェアやソフトウェアの制約がなくなってきた」(加治佐氏)こともルール変更の理由の1つという。 

 です。「コンピュータ」という表記に違和感を持つ一般人の感覚に合わせたということですね。

しかしこのときの変更は主に、英語の語末が-erや-orの言葉に限られていました。それ以外は特に変更のないまま12年が経過し、その結果として今も「製品ファミリ」という妙な表記が使われています。MIcrosoft用語としてのproduct familyが「製品ファミリ」なのはまだいいとして、人間のfamilyまで「ファミリ」だと違和感があります。

https://support.microsoft.com/ja-jp/help/12413

ファミリ グループは、Windows 10 デバイスXbox Oneバイスに加えて、Microsoft Launcher を実行している Androidバイスで、家族が連絡を取り合い、お子様の安全性を保つために役立ちます。これは無料のサービスで、Microsoft アカウントによる多くのメリットの 1 つです。

Microsoftのドキュメントに登場する「カルチャ」というカタカナ語も、cultureのことだと知ったときは衝撃的でした。確かにpictureは「ピクチャ」だったから、語末が-tureの英単語をカタカナ表記するとこうなるのでしょう。でもcultureは「カルチャー」ですよね。純粋にコンピューターの中だけで使われるcultureと人間のcultureを、日本語のカタカナ語としては別々に表記しないといけないのか。

12年前と比べて、人とcomputerとのかかわりかたも変わったはずなので、それを表す言葉の表記法も見直すことが必要なのではないかと思います。

Microsoftの不思議な言語感覚(「弊社」)

www.microsoft.com

上記のWebページに次のようなテキストがあるのですが、これは機械翻訳の出力か何かですか?

弊社での調査によると、多くのユーザーは新しい PC は、快適であると答えています。 

 

「弊社」というへりくだった表現は、こういうコンテンツではあまり使わないものだと思っていましたが、最近はそうでもないのでしょうか。

英語版のページ(https://www.microsoft.com/en-us/windows/computers)では、この部分は次のようになっています。

We’ve done the research. Turns out people are happier when they go with a modern PC.6 Here are the top three reasons why. 

 そして脚注6には「Microsoft Customer Usage & Satisfaction Program – US FY18 (Q1-Q4).」と書かれています。英語版では「調査」の出典を示し、その下の3つの項目に続くように文章が書かれていますが、日本語ではただの怪しい文章になっています。

ついでに、A modern PCの日本語訳は「新しいPC」でいいのでしょうか? Microsoftは「モダンPC」を推進していたはずですが。

www.itmedia.co.jp

www.watch.impress.co.jp

目的は、PCの詳しい知識がなくても店頭で「モダンPCが欲しい」と言えば、一定水準を満たしたPCを選べるようにするため。最新のWindows 10を快適に使えるPCを選ぶ指標になる。

 Microsoft自身も「モダン PC」のページを作ったのに、もう忘れてしまったのでしょうか。

www.microsoft.com

もう一つついでに、「多くのユーザーは、快適であると答えた」ということは、快適ではないと答えた人もいるということになりますが、そんなことを言ってしまって大丈夫なのでしょうか。英語版ページでは「Turns out people are happier when...」です。つまり、modern PCに移行した人はみんな、前より幸せになったことが調査で明らかになっているので、皆さんも移行しましょうということですよね。