IT翻訳者の疑問

この業界に入って約20年。私の疑問は相変わらず解決しません。

VWは何の会社か

引き続き、Cognitive Servicesのページで気になったところを挙げてみます。

Cognitive Services - AI ソリューション向け API | Microsoft Azure

「お客様の Cognitive Services の利用事例を見る」という見出しの下の、VWの事例の概要です。

リアルタイム翻訳を使用して世界中の顧客とのつながりを深める

Volkswagen は Cognitive Services を使用して高品質でリアルタイムの翻訳を提供することで、企業がグローバルな顧客基盤とさらにつながりを深めることができるようにしています。

さて、Volkswagenは何をする会社でしょうか。「翻訳を提供することで」ということは翻訳会社? 「企業がグローバルな顧客基盤とさらにつながりを深めることができるようにしています」ということは、他の企業がグローバルな顧客基盤とのつながりを深めることができるようにお手伝いしているのでしょうか。

英語版を見てみましょう。

Cognitive Services—APIs for AI Solutions | Microsoft Azure

Engaging global customers with real-time translation

Volkswagen uses Cognitive Services for high-quality real-time translations, enabling the company to better engage its global customer base.

「the company」を「企業」と訳してしまうと他社の話になってしまいますが、これって本当に人間の翻訳者が訳した(あるいは人間のレビュアーがレビューした)ものなのでしょうか。同社は大量のドキュメントを世界中の顧客に、40以上の言語でほぼリアルタイムで提供するためにこのサービスを使っているのですが、「翻訳を提供する」とは言いませんよね。

相変わらず、この業界の人たちは「~することで、~できるようにしています」という文型が好きですね。原文のenablingという現在分詞は、結果を表しているのではないでしょうか。つまり同社がこのサービスを使ってしているのは高品質のリアルタイム翻訳で、その結果として世界中の顧客とのengageがしやすくなったということですよね。この2つははっきり区別して訳したほうがよいと思います。

Google翻訳の出力のほうがまともに見えるような気がします。余計な言葉が追加されていないし。

リアルタイム翻訳で世界中の顧客を引き付ける

Volkswagen は Cognitive Services を使用して高品質のリアルタイム翻訳を行い、世界中の顧客ベースとの関係を強化しています。

「リアルタイム翻訳を使用して」より「リアルタイム翻訳で」のほうが引き締まりますよね。好みの問題があるので強制はしませんが。

「たりたり」を使いたくない理由

昨日取り上げたWebページの別の部分にも突っ込んでみたいと思います。

Cognitive Services - AI ソリューション向け API | Microsoft Azure

「お客様の Cognitive Services の利用事例を見る」という見出しの下にある、AIRBUSの事例の概要です。

Cognitive Services を使用してイノベーションを加速させる

エアバスはコンテナー内の Anomaly Detector を利用して、航空機の正常性を監視し、潜在的な問題が発生する前にそれを解決したり、音声対応のチャットボットでパイロットのトレーニングを簡素化したりしています。

この「解決したり、簡素化したりしています」のような「たりたり」の使い方には違和感があります。その理由をいろいろ考えてみてはいるのですが、未だに決定版が見つかりません。

英語版を見てみます。

Cognitive Services—APIs for AI Solutions | Microsoft Azure

Accelerating innovation with Cognitive Services

Airbus uses Anomaly Detector in containers to monitor the health of its aircraft and fix potential problems before they occur, and to simplify pilot training with speech-enabled chatbots.

日本語版で「たりたり」で表現されている部分は、英語だとto monitor...and fix...とto simplfy...で表現されていて、リンク先の記事では冒頭に「Its latest advances include two groundbreaking innovations that use Azure AI solutions to reimagine pilot training and predict aircraft maintenance issues. 」という文章があります。この2つの他にも何かがあるわけではなく、この2つを伝えたいということなので、「たりたり」ではなくて「~をコンテナーで使用しています。その目的は航空機の正常性を監視し、潜在的な問題が発生する前にそれを解決することと、音声対応のチャットボットでパイロットのトレーニングを簡素化することです。」などとすればよいかと思います。

余談ですが、「潜在的な問題が発生する前にそれを解決したり」の「それ」は何を指しているのかが、わかりにくくないでしょうか。「潜在的な問題」のことですが、文字どおり解釈しようとすると意味不明ですよね。「潜在的な問題」を特定できた時点でその「問題」は発生していることにならないのか? 「潜在的な問題を解決する」にbefore they occurの意味をくっつけるとしたら、「潜在的な問題を、それが表面化する前に解決する」でどうでしょうか。

あと「パイロットのトレーニングを簡素化」だと、トレーニングの内容を部分的に省いたりするといったイメージがあるので、「複雑さをなくす」という意味が伝わるような表現に変えたほうがよいと思います。

IT企業の文学的な表現

MicrosoftのWebサイトは機械翻訳だらけなのでふだんはあまり参考にしないのですが、なかなか面白い表現を見つけたのでメモしておきます。

azure.microsoft.com

Azure Cognitive Services とは

Cognitive Services は、すべての開発者やデータ サイエンティストの手の届くところに AI を導入します。優れたモデルを使用すると、さまざまなユース ケースがその帳 (とばり) を開きます。必要なのは、高度な意思決定について見て、聞き、話し、検索し、理解し、そして加速する機能をアプリに埋め込むための API 呼び出しです。すべてのスキル レベルの開発者とデータ サイエンティストが AI 機能をアプリに簡単に追加できるようにします。

既知のプログラミング言語を使用して、さまざまなユース ケースのための AI ソリューションをデプロイする方法をご覧ください。

「優れたモデルを使用すると、さまざまなユース ケースがその帳 (とばり) を開きます。」という表現は、なかなかIT企業の製品紹介ページではお目にかかる機会のない表現です。「帳」に括弧付きでふりがなを振っているぐらいなので、機械翻訳の出力ではないと思いますが、「モデルを使用すると、ユースケースがその帳を開く」という文章構造はなんだか不自然です。

英語版を見てみましょう。

azure.microsoft.com

What is Azure Cognitive Services?

Cognitive Services brings AI within reach of every developer and data scientist. With leading models, a variety of use cases can be unlocked. All it takes is an API call to embed the ability to see, hear, speak, search, understand, and accelerate advanced decision-making into your apps. Enable developers and data scientists of all skill levels to easily add AI capabilities to their apps.

See how to deploy AI solutions for various use cases using the programming languages you already know.

「a variety of use cases can be unlocked」が「さまざまなユース ケースがその帳 (とばり) を開きます」ですか。Unlockという動詞は特に珍しくなく、それまでできなかったことを可能にするという意味で使われるのをよく見かけます。「With leading models」の意味がよくわからないのですが、訳した人もよくわからないので煙に巻こうとしたのでしょうか。このページでmodelという単語が使われている箇所は他に「Use customizable, pretrained models built with breakthrough AI research」だけですが、既に用意されているモデルを使って多様なユースケースを実現できるということかもしれません。そもそも「帳(とばり)」と「開く」の組み合わせは有りなのでしょうか。国語辞典で「帳」を調べると「すべてのものが闇に包まれる夜になる意を美化した表現」【出典: 三省堂 新明解国語辞典 第八版】などとなっているのですが。

ついでに突っ込み所を挙げてみると、最初の文が気になります。「手の届くところに」という抽象的な表現に続いて「AIを導入する」……このサービスのおかげで、AIは手の届く存在になるということですよね。

「高度な意思決定について見て、聞き、話し、検索し、理解し、そして加速する機能」ってなんなんでしょうね。ページ中程に「Azure Cognitive Services」という見出しに続いて「音声」「言語」「視覚」「決定」「OpenAI Service」という箇条書きがありますが(英語版ではSpeech、Language、Vision、Decision、OpenAI Service)、「意思決定について見る」わけではないと思います。

「必要なのは、高度な意思決定について見て、聞き、話し、検索し、理解し、そして加速する機能をアプリに埋め込むための API 呼び出しです」という文は、何について必要だと言いたいのでしょうか。英語版では、an API callだけであなたのアプリにability to see, hear, speak, search, understand, and accelerate advanced decision-makingを埋め込むことができると書かれていますが。

「追加できるようにします」という、煮え切らない述語は見るたびにイライラします。この文のポイントは「of all skill levels to easily add」なので、スキルレベルを問わず簡単に追加できるようになることを、もっと自然に表現してもらいたいものです。

最後の「既知のプログラミング言語を使用して、さまざまなユース ケースのための AI ソリューションをデプロイする方法をご覧ください。」も、杓子定規に解釈すると「既知のプログラミング言語を使用してご覧ください」となります。まあ普通は脳内で「既知のプログラミング言語を使用してデプロイする方法を」と解釈しますが、なぜこのセンテンスは「既知のプログラミング言語を使用して」から始まるのか、疑問を感じませんか?だって未知の言語は使いようがないし。英語版の文末にある「you already know.」がうまく訳せていないんですよね。「AIを利用するにあたって、新しい言語ではなくてあなたが既に知っている言語をそのまま使えるんですよ」はこのサービスの長所なのだから、軽視してはならないと思います。

ついでにもう一つ。

azure.microsoft.comこうやって埋め込んだときに表示されるテキストは何と呼ばれるんでしたっけ。それはいいのですが、この文章も変です。

Azure Cognitive Services に AI が導入され、機械学習の専門知識がなくても、すべての開発者が API を通じて利用することができます。30 日で AI ソリューションを構築する方法をご確認ください。

英語版では次のとおりです。

Azure Cognitive Services brings AI to developers through APIs that don't require machine-learning expertise. Learn how to build AI solutions in 30 days. 

「Azure Cognitive Services に AI が導入され、」ではありませんよね。「30 日で AI ソリューションを構築する方法をご確認ください」は「AIソリューションを構築する方法を30日で学びましょう」じゃないかなあ。このページに「Cognitive Services 30-day learning journey」というリンクがあるんですよね。



 

NHKのニュースで「ことし1番の暖かさ」

昨日(4月10日)、NHK総合テレビのニュースを見ていたら「ことし1番」という表記が目に入ってびっくりしました。ネットで一般人が発信する文章では、漢数字を使うべきところがアラビア数字になっているのも珍しくないのですが、NHKでもそうなっているとは。「いちばん(一番)」は国語辞典の見出し語になっている言葉ですよね。

www3.nhk.or.jp

Twitterでこのニュースを検索すると、「ことしいちばんのあたたかさ」の表記は揺れているようですね。

我々の業界ではもちろん、「数字の部分を入れ替えても成立する場合はアラビア数字、そうでない場合は漢数字」といったルールがあるので「今年1番の暖かさ」という表記はNGです。「今年2番目の暑さ」ならOKですが。順番ではなくbestの意味の「一番」は「いちばん」と表記すべきという規則もどこかで見たような気がします。

最近、NHKのアラビア数字の使い方が気になることがよくあります。大河ドラマのタイトル「鎌倉殿の13人」は意図的にそうしたという説明をどこかで読んだことがありますが、年末恒例のベートーベン作曲交響曲第9番を、NHK「第九」ではなく「第9」と表記するのがお好きなようです。

「第8」があるわけではないので(ベートーベン作曲交響曲第8番はあります)「第9」は変だと思いますが、スポンサーが設定した公演のタイトルでは「第九」と表記しているもののN響のポスターでも「第9」と表記されていたようなので、相当強い信念があるようです。

人名の敬称をどうするか

調べ物をしていたら、このようなページが見つかりました。

www.trados.com

「27万人以上のプロ翻訳者が Trados Studioを選んでいる理由をご確認ください。」というバナー(と呼んでいいんでしたっけ)に続いて、何人かの翻訳者のコメントが掲載されているのですが、人名に付いている敬称がばらばらです。

Trados Studio 2021を初めて使ってみた感想

Nora Diaz 個人翻訳者(英語-スペイン語

Nora Díazはフルタイムの翻訳者であり、またチームリーダーとして翻訳ワークフローのあらゆる局面で日々世界中の顧客に対応しています。彼女はテクノロジーへの関心が高く、生産性向上ツールを常に研究しています。彼女はRWSのベータテスターコミュニティに積極的に参加しており、世界中のトップレベルの翻訳者と交流して、実際に翻訳者として働いている人々のニーズやプログラムの使いやすさについて意見を提供しています。ここでは彼女が Trados Studio 2019のデモを行い、この製品の第一印象について語ります。

Andrew Martin氏

翻訳会社Pantoglotのオーナー

Andrew Martin氏が言語プロフェッショナルにTrados Studioを勧める理由を、こちらのビデオでご確認ください。

Emma Goldsmithさん

個人翻訳者(スペイン語-英語)

Peter Kahlさん

PMK Information Services Ltd.のDirector、Peter Kahl氏

独語-英語、英語-独語

「Trados Studioは、技術翻訳に携わっているすべての人に不可欠なツールです」

Trados Studioが翻訳者にとって重要なツールだとPeter Kahlさんが思う理由を、こちらのビデオでご確認ください。

敬称なし、「さん」付き、「氏」付きと、このページだけで3通りあるのですが、統一はできなかったのでしょうか。Peter Kahlさんに至っては「さん」と「氏」が混在しています。

このような事例紹介の表記に関する指示は、通常の翻訳スタイルガイドにはないことも多く、その場合は常識の範囲内で選ぶことになりますが、やっぱり指示をまとめておいたほうがよいと思います。いくら翻訳メモリが整備されていても、「人名に付ける敬称」の過去の方針を読み取るのは難しいからです。発注元企業が同じでも、場面によって使い分けることもあるでしょう。Tradosのようなビジネス用ソフトウェアならば「氏」が一般的だと思いますが、「購入してくださったお客様」には「様」だし、コンシューマー向けだったら堅苦しさのない「さん」が適切ということもあるでしょう。

本題とは関係ないのですが、「Trados Studio 2021を初めて使ってみた感想」という見出しに続く文章が「ここでは彼女が Trados Studio 2019のデモを行い、この製品の第一印象について語ります。」で締めくくられています。「Trados Studio 2019のデモを行い」になっているのはどういう理由なのでしょうか。英語版では「Here she takes us through a demo of Studio 2021 and gives her first impressions.」なんですよね。

マイクロソフト用語集の検索結果が最初から表示されるようになりました

先日ネタにした(用語集の検索結果を表示しようとしないMS - IT翻訳者の疑問)MSの用語集検索ページですが、先ほどアクセスしてみたら最初から検索結果を表示するようになっていました。使いやすさが戻って何よりです。

 

「連携によってもたらされるメリット」

Trados Studio 2021 Freelance - 翻訳メモリソフトウェア というページにある、ウェビナーの紹介文です。

このウェビナーシリーズでは、クラウドとデスクトップの連携によって 
翻訳者やプロジェクトマネージャーにもたらされるメリットについてご説明します。ぜひ、ご登録ください。

「もたらされる」という表現は少々不自然ではありませんか? 少なくとも、自分では使うことはありません。「~の連携が翻訳者やプロジェクトマネージャーにもたらすメリット」ではいけないのでしょうか。例の「無生物主語をむやみに使わない」というスタイルガイドの指示のせいでしょうか。でも、「もたらす」という動詞は基本的に、無生物主語との組み合わせで使うものですよね。想像でものを言ってもしかたないのですが、スタイルガイドに従った結果として日本語の文章が不自然になってしまっては意味がありません。

「連携が」ではなく「連携によって」というスタイルを維持したければ、「翻訳者やプロジェクトマネージャーが得られるメリット」などとすればよいのではと思います。

一応英語版も。

https://www.trados.com/products/trados-studio/freelance/

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