IT翻訳者の疑問

この業界に入って約20年。私の疑問は相変わらず解決しません。

60ワードの英文を訳すのにかける時間

先日取り上げた(「people with physical challenges」を日本語でどう表現するか - IT翻訳者の疑問 (hatenablog.com)Microsoft Azureの「開発者のストーリー」のページのテキストが更新されていました。

https://azure.microsoft.com/ja-jp/resources/developers/stories/

独学の開発者が障碍のある人々のハンディキャップをなくす
特別な支援が必要な兄弟とビデオ ゲームをプレイしやすくするために、Alex Dunn は、身体の不自由な人々が音声と顔の合図でゲームに復帰できるコントローラーを作りました。彼の Enabled Play Controller は、テクノロジのアクセシビリティを高め、すべてのユーザー向けにパーソナライズできるようにするものです。

前のバージョンに比べるとかなり良くなっているように見えます。英文の最後のeveryoneがまだ「すべてのユーザー」になってはいますが。改めて英語版も引用します。

Developer Stories | Microsoft Azure

Self-taught developer levels the playing field for people with disabilities
To make it easier to play video games with his special needs brother, Alex Dunn created a controller that uses voice and facial cues to help people with physical challenges get back in the game. His Enabled Play Controller makes technology more accessible and personalized for everyone.

「levels the playing field」は「ハンディキャップをなくす」でいいのでしょうか。「ハンディキャップ」というのは、なくせるものですか? この開発者が作ったのはゲームをプレイするためのコントローラーなので、playing fieldの意味を日本語にも反映したいですね。「障碍のある人々も等しく遊べる○○を独学で開発」とか。

ただ、そこから見出しの訳を仕上げるとなると、遊べる「何」なのかを考えないといけません。「場」ではないし、「しくみ」かなあ。上記の英文は60ワード弱ですが、翻訳にかけられる時間はどれくらいなのでしょう。事例の動画を見るだけで5分かかりますし。これを訳した人は動画を見る時間もなかったと思います。見ていたらbrotherが「兄弟」にはならないし、get backも「復帰できる」にはならないでしょう。「a controller that uses voice and facial cues」と「to help people with physical challenges get back in the game」は分けて訳さないと意味が伝わりません。「makes technology more accessible and personalized for everyone.」も、意味がわかればもっとこなれた日本語で表現できるはずですが、日本語の文章としてそれなりの形にまとめたところで時間切れだったのでしょうか。

Microsoftのミッションは全社に浸透しているか

Microsoftのミッションステートメントは、日本法人の会社概要ページに英日併記で掲載されています。

news.microsoft.com

日本マイクロソフト株式会社は、マイクロソフト コーポレーションの日本法人です。マイクロソフトは、インテリジェントクラウド、インテリジェントエッジ時代のデジタルトランスフォーメーションを可能にします。「Empower every person and every organization on the planet to achieve more.(地球上のすべての個人とすべての組織が、より多くのことを達成できるようにする)」を企業ミッションとしています。

このpersonも「ユーザー」だったらどうしようかと思いましたが、さすがにそんなことはありませんでした。英語のempowerというはっきりとした動詞が、日本語では「ようにする」という弱い表現になっているのは気になりますが。

このミッションを打ち出したのは現CEOのナデラ氏だそうです。少し前に、息子さんが25歳の若さで亡くなったというニュースを見ましたが、その息子さんに障害があったことがナデラ氏の人生観を変えたといわれています。それがMicrosoftアクセシビリティの取り組みにもつながっていると。

www.gizmodo.jp

ナデラ氏の息子さんのように、四肢が不自由で寝たきりでも、テクノロジーを活用すると、体の動かせる部分を使って聴きたい音楽を選ぶこともできるようになることも、この記事で紹介されています。このような人たち一人ひとりのことを考えると、「people with physical challenges」を日本語でどう表現するか - IT翻訳者の疑問 (hatenablog.com)で取り上げた「障碍のあるユーザー」のような呼び方をなぜできるのか、不思議でなりません。障害の有る無しにかかわらず、私たちはMicrosoftの製品やテクノロジーのユーザーである前に一人の人間なのです。

Azureを使用すれば目的を達成できる?

Microsoft Azureの日本語版トップページのメタデータには、すごいことが書かれています。

azure.microsoft.com

<meta name="description" content="Microsoft Azure のオープンで柔軟なクラウド コンピューティング プラットフォームを使用すれば、目的を達成し、コストを節約し、組織の効率を向上させることができます。" />

これを初めて見たのはBingで検索したときですが、目を疑いました。Azureのプラットフォームを使えば目的を達成できる。魔法のサービスですか。

「~すれば」については、以前も取り上げましたが(「すれば」と「すると」の違い - IT翻訳者の疑問 (hatenablog.com))、何かを実現するための条件に焦点がある場合の文型ですよね。ということは、「目的を達成し、コストを節約し、組織の効率を向上させる」には「Microsoft Azureのオープンで柔軟なクラウド コンピューティング プラットフォームを使用するだけでよい」ということになります。そこまで強く言ってしまって本当に大丈夫でしょうか。Azureを使ったけれど目的を達成できなかった、と訴えられたりすることはないのでしょうか。

英語版を見てみましょう。

azure.microsoft.com

<meta name="description" content="Invent with purpose, realize cost savings, and make your organization more efficient with Microsoft Azure’s open and flexible cloud computing platform." />

日本語版の「目的を達成し」に相当するフレーズは見当たらないのですが、「Invent with purpose」はページの先頭に出現する例のテキストと同じですね。Microsoft Azureのopen and flexible cloud computing platformを使ってInvent with purpose, realize cost savings, and make your organization more efficientしましょうというテキストが、なぜ日本語だと「~すれば、~できます」になってしまうのか。

ソフトウェアの操作説明だったら、「ExcelでSUM関数を使用すると合計を計算できます」のようなテキストは頻出しますが、計算できるのは事実だし、誰がやってもそうなるから問題ありませんよね。しかし、「目的を達成する」や「組織の効率を向上させる」というレベルの話だと、ツールを使ったからすぐできるというものでもありませんので、もうちょっと慎重に表現を選ぶ必要があるかと思います。

用語集の訳を当てておけば無問題?

Microsoft Azureのトップページ(https://azure.microsoft.com/ja-jp/)のデザインと文言がまた変わっていました。

「Azure は、目的を持って考案する。」は相変わらずなのですが、その下の「学習、接続、探索」は何なんでしょう。

学習、接続、探索

Microsoft Ignite で発表された最新のテクノロジを使用して、次世代アプリの構想と構築をしましょう。従量課金制の価格で開始できます。事前のコミットメントは不要で、いつでもキャンセルできます。または、Azure を最大 30 日間無料でお試しください。

英語版(https://azure.microsoft.com/en-us/)では、「Learn, connect, and explore」です。単語それぞれの訳は合っているといえば合っていますが。

Learn, connect, and explore

Envision and build the next generation of apps with the latest technologies announced at Microsoft Ignite. Get started now with pay-as-you-go pricing. There’s no upfront commitment—cancel anytime. Or try Azure free for up to 30 days.

なぜこのタイミングでこのページが更新されたかというと、先週開催されていたMicrosoft Igniteというイベントに合わせたのでしょう。その下のテキストに「Microsoft Ignite で発表された最新のテクノロジを使用して、次世代アプリの構想と構築をしましょう。」と書かれていますし。

「Learn, connect, and explore」をWeb検索するとわかるのですが、Microsoftのイベントについてのテキストでよく使われています。したがって、このページでもMicrosoft Igniteのことを指していると思われます。だとすると「接続」では変ですよね。そのイベントでは学び、人と知り合ってつながり、知らなかったものを探索することができるのだから。

Microsoftの製品そのものについての文章だったら、connectの訳は用語集から「接続」を当てておけばだいたいOKかもしれませんが、このWebサイトのような場合はそうとは限らないんですよね。

参考までに他の言語のページも見てみました。

フランス語:https://azure.microsoft.com/fr-fr/

Apprendre, se connecter et explorer
Concevez et créez la nouvelle génération d’applications avec les dernières technologies annoncées lors de Microsoft Ignite. Démarrez maintenant avec la tarification de paiement à l’utilisation. Aucun engagement initial, peut être annulé à tout moment. Vous pouvez également essayer Azure gratuitement pendant 30 jours.

中国語(中国):https://azure.microsoft.com/zh-cn/

了解、连接和探索
使用在 Microsoft Ignite 上宣布的最新技术构想和生成下一代应用。立即开始使用即用即付定价。没有前期承诺 - 随时可以取消。或最多免费试用 Azure 30 天。

中国語(台湾):https://azure.microsoft.com/zh-tw/

學習、交流和探索
使用在 Microsoft Ignite 所宣佈的最新技術,構想並建置新一代的應用程式。以隨付隨用價格立即開始使用。無須預繳任何費用,隨時可取消。或者,免費試用 Azure 最多 30 天。

 

「people with physical challenges」を日本語でどう表現するか

Microsoftでは「身体の不自由なユーザー」だそうです。

先日取り上げた、Microsoft Azureのトップページにある事例の「その他の開発者向けストーリーを確認する」のリンク先(開発者ストーリー | Microsoft Azure)に、次のようなテキストがあります。

自己指導型の開発者は、障碍のあるユーザーのプレイフィールドをレベル付けする

特別なニーズに応えてビデオ ゲームをプレイしやすくするために、Alex Dunn は、身体の不自由なユーザーがゲームに戻ってくるのに役立つ音声と顔の手掛かりを使用するコントローラーを作成しました。有効なプレイ コントローラーは、テクノロジーアクセシビリティを高め、すべてのユーザー向けにパーソナライズできるようにします。

リンク元のページにあるのと同じ事例のことなのですが、ますますわけのわからないことになっています。機械翻訳されたという但し書きがないので、人間翻訳されたもののはずですが。

英語版(Developer Stories | Microsoft Azure)では次のように書かれています。

Self-taught developer levels the playing field for people with disabilities

To make it easier to play video games with his special needs brother, Alex Dunn created a controller that uses voice and facial cues to help people with physical challenges get back in the game. His Enabled Play Controller makes technology more accessible and personalized for everyone.

「people with disabilities」は「障碍のあるユーザー」、「people with physical challenges」は「身体の不自由なユーザー」、最後の「everyone」も「すべてのユーザー」。もう「ユーザー」以外の表現は使いませんという強い意志のようなものが感じられるのですが、英文の「his special needs brother」や「physical challenges」と同じことをどう日本語で表現するかについても、もっと神経を使ったほうがよいのではと思います。

それにしても、「障碍のあるユーザーのプレイフィールドをレベル付けする」が人間翻訳のアウトプットだとしたら、何を根拠に「levels the playing field for people with disabilities」をこう解釈したのかを聞いてみたいものです。「Enabled Play Controller」という固有名詞もなぜか「有効なプレイ コントローラー」と日本語化されているし。

参考までに、上記の英文を機械翻訳にかけてみました。

Bing翻訳

独学の開発者が障害を持つ人々のための競争の場を平準化

アレックス・ダンは、特別なニーズを持つ兄とビデオゲームを簡単にプレイできるように、音声と顔の合図を使用して、身体的な問題を抱える人々がゲームに戻るのを助けるコントローラーを作成しました。彼の有効なプレイコントローラは、誰にとってもテクノロジーをよりアクセスしやすく、パーソナライズします。

Google翻訳

独学の開発者は、障害を持つ人々の活躍の場を平等にします

アレックス ダンは、特別支援が必要な兄弟と一緒にビデオ ゲームをプレイしやすくするために、声と顔の合図を使って体に障害のある人がゲームに戻るのを助けるコントローラーを作成しました。 彼の Enabled Play Controller は、テクノロジをよりアクセスしやすくし、すべての人がパーソナライズできるようにします。

DeepL

独学で学んだ開発者が、障がい者の活躍の場を広げる

アレックス・ダンさんは、体の不自由な弟と一緒にビデオゲームを楽しむために、音声と顔の合図を利用して、体の不自由な人がゲームに参加しやすくするコントローラーを作りました。彼のイネーブルド・プレイ・コントローラーは、すべての人にとって技術をより利用しやすくし、パーソナライズすることができるようにします。

 

「people with disabilities」を日本語でどう表現するか

Microsoftでは「障害のあるユーザー」だそうです。

先日から取り上げている、Microsoft Azureのトップページ(https://azure.microsoft.com/ja-jp/)の下のほうに、次のような記述があります。

独学で学んだ開発者が、音声と顔の合図を利用したビデオ ゲーム コントローラーを開発し、障害のあるユーザーの活躍の場を広げることに貢献した事例をご覧ください。

 

英語版(https://azure.microsoft.com/en-us/)では次のとおりです。

See how a self-taught developer helped level the playing field for people with disabilities by creating a video game controller that uses voice and facial cues.

「事例を見る」の動画に登場するのは、いくつものdisabilitiesがあるためゆっくりとしかゲームをプレイできない弟のために、顔の表情と声を使うコントローラーを独学で、Azureのサービスを使って開発した人です。日本語版の「障害のあるユーザー」は、何を使う人を指しているのでしょうか。この事例のpeople with disabilitiesは、Microsoft Azureの直接のユーザーではありません。このself-taught developerがしたことは「helped level the playing field for people with disabilities」ですが、このpeopleはコントローラーを使う人のことですか? 

このlevel the playing fieldという抽象的な表現が「活躍の場を広げる」と訳されているのを見ると、これを訳した人はおそらく事例の本文を読んで(動画を見て)いませんね。英和辞典の「機会を均等にする」(コンパスローズ英和辞典)という説明も見てなさそうです。self-taughtで何を学んだかを理解していないから「独学で学んだ」という明らかに冗長な表現を平気で使うし、self-taught developerが成し遂げたことのすごさに関心がないのでしょう。

操作マニュアルの文章に登場するuserとは異なり、事例に登場するpeopleは実在する生身の人間なのだから、常に敬意が感じられる表現であるようにしたいものです。

抽象的な英文の意図がわからないときはどうするか

Microsoft Azureのトップページ(https://azure.microsoft.com/ja-jp/)のデザインと文言がまた変わっていました。

 

 

英語版(https://azure.microsoft.com/en-us/)の

Create solutions for everyone—while still protecting what's yours

というメッセージが、日本語版では

自分の環境を引き続き保護しながら、すべてのユーザー向けのソリューションを作成する

となるんですね。英語のeveryoneという、人を表す単語に対してさっそく「ユーザー」が出てくるのを見ると、訳し方の癖というのは抜けないものだなとつくづく思います。

それより、英文ではダッシュをはさんで2つのことが述べられているのですが、日本語に訳すときにひっくり返してしまうのはなぜでしょう。英語のstillには「それでもなお」という意味がありますが、先頭に持ってきてしまったら「どこから引き続いているのか」と疑問に思いませんか?「みんなのためのソリューションを作れるけれども、自分のものはしっかりと守る」がAzureのセールスポイントなんですよね。英語の「protecting what's yours」は抽象的な表現ですが、これが指しているのはその下の「using solutions for layering security into every phase of development.」のことでしょう。その右側にあるグラフィックの、男性の横にある盾のようなイラストもこれを表しているのだと思います。

ただ、「ダッシュをはさんで2つのこと」と書いたものの、前半の「Create solutions for everyone」の意図がよくわからないんですよね。ある問題を抱えている人が誰でも使えるようなソリューションを作ろうとするときに、開発者の資産のセキュリティが危うくなるようなことがあるのでしょうか。こういうとき、原文のライターに意図を質問できるといいのですが。英語読者なら読んですんなり理解できるはずの英文の意味を教えてくださいというのは恥ずかしいのですが、勝手に解釈して変な訳文を作るよりは良いかと思います。

参考までに他の言語のページも見てみました。

中国語(中国):https://azure.microsoft.com/zh-cn/

 

中国語(台湾):https://azure.microsoft.com/zh-tw/

 

フランス語:https://azure.microsoft.com/fr-fr/

 

どの言語も英語の「what's yours」の訳し方には苦心しているようですが、やっぱり日本語ローカライズは独特ですね。