IT翻訳者の疑問

この業界に入って約20年。私の疑問は相変わらず解決しません。

会社名、役職名、氏名

この業界における不思議な慣習は未だに多数ありますが、その一つが「会社名、役職名、氏名」という読点の使い方です。(引用中の氏名は伏せました)

https://www.adobe.com/jp/creativecloud/business/enterprise/video-tools.html

「複数の選択肢を評価、テストした結果、当社はAdobe Premiereを導入することに決めました。ワークフローが直感的で、編集者にとって使いやすかったからです」

VICE Media, Inc.、ポストプロダクション担当責任者、*** *** 氏

実在の人物の名前を会社名や役職名も付けて紹介するときに、日本語ではこのような書き方をしますか? このように読点で区切る人は、自分が組織に所属していてその組織の人間として電子メールを送るときの署名でも組織名と名前を読点で区切るのでしょうか。

想像ですが、読点で区切るのは単に原文に合わせただけでしょう。

https://www.adobe.com/za/creativecloud/business/enterprise/video-tools.html

“After evaluating and testing different options we decided to work with Adobe Premiere Pro because the workflows were intuitive and easy for our editors.”

*** ***, Head of Post-production, VICE Media, Inc.

確かに英語版では氏名の後の役職名と会社名がカンマで区切られていますが、だったら「San Jose, CA」のような地名も「カリフォルニア州サンノゼ」と表記するのでしょうか?

同じ会社のWebサイトでも、初めから日本語で書かれたと思われるページでは読点は使われていません。

https://business.adobe.com/jp/customer-success-stories/bizreach-case-study.html

「なにしろ軽い。そして動作が安定している。Adobe XDは私が待ち続けてきたUI/UXデザインツールです」

プロダクトデザイン部 HRMOS採用管理事業グループ マネージャー 兼ビズリーチ事業グループ マネージャー 兼 デザイン戦略室 マネージャー/IA  *** ***氏

所属部署や肩書きと氏名の間の区切りにはスペースが使われているのですが、このような分かち書きのルールは翻訳スタイルガイドには書かれていないんですよね。

 

専門用語を消化するには

前回のブログで例として取り上げた「Illustrator で曲線に接する線をスナップする」のページには、他にも引っかかるところがあります。それはtangentという専門用語の扱いです。

helpx.adobe.com

helpx.adobe.com

見出しの「曲線に接する線をスナップする」から既に意味がよく分からないのですが、「Snap a line tangent to a curve」はこう訳すしかないのでしょうか? 本文の説明を読むと、a lineがa curveと1点だけで接する(tangent)ようにスナップするということですよね。ただ、英語ではtangentという形容詞1語で表現できることが、日本語では単語数が増えてしまうのがやっかいです。曲線と1点だけで接する線は「接線」と呼ぶことを学校で教わっているので、「線が曲線の接線となるようにスナップする」などと表現するのはいかがでしょうか。

見出しの直後の文も、やや意味不明です。

スナップ接線を使用して、曲線またはパスに完全に接する線を作成または編集し、正確な幾何学的接続を確保します。

Use snap to tangent to create or edit lines that are perfectly tangential to curves or paths, ensuring clean and accurate geometric connections.

「正確な幾何学的接続」は確保されるものなのだろうかと考えてしまいますが、それはさておき、「スナップ接線」は「snap to tangent」とのことでしょうか。「曲線またはパスに完全に接する線」だと、曲線にぴったり沿った線(直線ではなく曲線)と解釈されるかもしれません。ここでも「1点だけで接する」という表現を使ったほうがいいかなと思いますが、直後の文章にIt ensures lines touch a curve at exactly one point,という説明があるので、「接線」という表現のままにしておいたほうがよいかもしれません。

次の文は、この機能のもう少し具体的な説明です。

接線スナップは、線と曲線がスムーズに接する必要があるロゴ、技術図面、デザインで役立ちます。 線が曲線と正確に 1 点で接するようにし、円形や有機的な形状を扱う際に推測する必要がなくなり、精度が向上します。

Tangential snapping is useful for creating logos, technical drawings, and designs where lines must meet curves smoothly. It ensures lines touch a curve at exactly one point, eliminating guesswork and improving accuracy when working with circular or organic shapes.

動詞ensureを「ようにする」と訳すと、意味不明になりませんか? この機能を使うと、線が1点だけで曲線に接する状態を自動的に作ることができるので推測が不要になり、精度が向上するということですよね。

操作手順の3番目も、少々意味不明です。

線のエンドポイントを曲線や円に向かってドラッグします。 エンドポイントが接線方向に揃うと、接線ツールチップとハイライトが表示されます。

Drag the line’s endpoint toward a curve or circle. A tangent tooltip and highlight will appear when the endpoint aligns tangentially.

「エンドポイントが接線方向に揃うと」とは。原文のaligns tangentiallyはよくわかりませんよね。その下の図を見ると、「ドラッグする点を終端とする線が曲線または円の接線になるような位置に来ると」という感じでしょうか。

この機能の説明らしき動画も見つかりました。ツールチップがtangentに変わったら、そこにsnapすると接線を描けるということだと思います。

www.tiktok.com

マウスまたはペンを放して、線が曲線に接するようにスナップします。

Release the mouse or pen to snap the line to the curve tangentially.

これだと「マウスまたはペンを放す」と「スナップする」の2つの動作と読み取れるのですが、放すとスナップされるんですよね。

最後のNoteも、もう少し工夫が必要かと思います。

スナップは線のエンドポイントのみに制限されています。 線の中間部分での接線はサポートされていません。

Snapping is limited to line endpoints only. Mid-line tangents are not supported.

線の中間部分の1点だけで接するような位置に自動的にスナップすることはできない、ということですよね。

見出しに「専門用語」と書きましたが、Illustratorのユーザーが理解できるレベルの内容なので、数学の専門家でなければ訳せないというものでもありません。時間はかかるかもしれませんが、各単語の意味をしっかり消化して意味が通じるように訳文を作りたいものです。

操作手順の中のto不定詞

操作手順の中のto不定詞は「結果」として訳せることが多いのですが(たとえばDouble-click the icon to run the program→「アイコンをダブルクリックしてプログラムを実行します」)、なんでもかんでも機械的にそう訳されているケースを時々見かけます。特にto editですが、たとえば次のような文章です。

helpx.adobe.com

Select the Line   tool or Pen   tool.

Draw a new line, or select an existing one to edit near a curve or path.

Drag the line’s endpoint toward a curve or circle. A tangent tooltip and highlight will appear when the endpoint aligns tangentially.

 

helpx.adobe.com

直線  ツールまたは ペン ツールを選択します。

新しい線を描くか、曲線やパスの近くにある既存の線を選択して編集します。

線のエンドポイントを曲線や円に向かってドラッグします。 エンドポイントが接線方向に揃うと、接線ツールチップとハイライトが表示されます。

2番目の、select an existing one to editのセンテンスを読み終えた時点で読者は何をどう編集するのでしょうか? 実際に操作しているつもりで読めば、to editはan existing oneを修飾するものであることがわかると思います。

includingの意味は常に例示なのか

技術翻訳の勉強を始めたばかりの頃に、includingは例を示すときにも使われると教わった記憶があります。しかし、いつでもそのような訳し方ができるとは限りません。

「など」の例を探していて見つけたページですが、英文ではincludingが使われていました。

support.apple.com

これで問題が解決した場合は、以下の手順にそって、そのWebサイトのデータ(キャッシュ、Cookieなど) を削除してください。その後必要があれば、Webサイトは新しいデータを作成できます。サインインが必要なWebサイトの場合は、この先に進む前に、サインイン情報を用意しておいてください。

 

support.apple.com

If that works, use the following steps to remove the website's data, including its caches and cookies. The website can then create new data as needed. If it's a website that you sign in to, make sure that you know your sign-in information before continuing.

この「など」は、削除すべきデータの例を挙げているのでしょうか? キャッシュやCookieの他に何を削除するかはユーザーが決めるのでしょうか?
この文章に続いて削除の手順が書かれているのですが、その手順は「Manage Website Data」という画面項目を選び、関係するWebサイトを選んでRemoveをクリックするというものです。つまり、キャッシュやCookieやその他のデータをユーザーが選んで個別に削除するのではなく、Webサイトのデータをまとめて削除するということですね。そのデータの中にキャッシュやCookieも含まれているということです。

なぜこの段落で including its caches and cookiesという表現が使われているかというと、前の段落にcookiesとcachesが出現するからですね。

A website can store cookies, caches, and other data on your Mac. Issues with that data can affect your use of the website. To prevent the website from using that data, view it in a private window: From the menu bar in Safari, choose File > New Private Window, or press Shift-Command-N.

WebサイトはCookie、キャッシュ、その他のデータをMacに保存することがあり、そうしたデータに問題があると、そのWebサイトの使用に支障が生じる場合があります。Webサイトがこうしたデータを使わないようにするには、プライベートウインドウでそのサイトを表示します。Safariのメニューバーから、「ファイル」>「新規プライベートウインドウ」の順に選択するか、「shift + command + N」キーを押してください。

これらがMacに保存されていることが原因でWebサイトが正常に機能しなくなったら、そのWebサイトのデータを削除するのですが、削除されるデータにはキャッシュやCookieも含まれているということなので、日本語訳としては「など」ではなく、「含まれている」と訳したほうがわかりやすいかと思います。

「たとえば」と「など」の互換性

どちらも例を挙げるのに使われる表現ですが、同じように使えるものなのでしょうか。最近、仕事で見かける既訳の中で「たとえば」を使うべきところで「など」が使われているケースにたびたび遭遇します。

似たような例をAppleのサイトで見つけました。

support.apple.com

support.apple.com

この見出しと、その下の説明文の「など」の使い方は問題ないと思います。「多くのアプリで…などが表示される方法を変更します」はちょっと意味不明ですが。「Macのアプリの多くについては、日付や時刻などの表示方法は『言語と地域』の設定を使って変更します」ですよね。

本文の中には、ちょっと気になるものがあります。

「地域」の横のポップアップメニューをクリックしてから、地域の日付、時刻、数値などの書式を使用する地域を選択します。

Click the pop-up menu next to Region, then choose a geographic region to use the region’s date, time, number, and other formats.

「地域の日付、時刻、数値などの書式を使用する地域」が意味不明ですが、英文のthe region’s date...の意味を考えると「どの地域の日付、時刻、数値などの書式を使用するかを選択します」などとしたほうがわかりやすいかと思います。逐語訳主義のレビュアーにはエラー扱いされるかもしれませんが。

温度単位: 摂氏などの優先する温度の表示形式を選択します。

Temperature: Select the preferred temperature format, such as Celsius.

この「など」はちょっと変です。国語辞典で「など」を調べると、確かに「たとえば」の意味があると書かれてはいますが、代表的な例を挙げるときに使うものです。

多くの事柄の中から、主なものを取りあげて「たとえば」の気持ちをこめて例示する。多くの場合、他に同種類のものがあることを言外に含めて言う。
【出典: 三省堂 大辞林 第四版】

Appleのページでは、Select the preferred temperature formatの例としてCelsiusが挙げられていますが、この英文は他に同種類のものがあることを暗に示しているのでしょうか。これを読むユーザーは、書式を1つしか選択しませんよね。ユーザーへの指示は「好みの温度表示形式を選択する」なので、それを先に伝えて例は後から示したほうがわかりやすいかと思います。

 

Appleの別のページでも、ちょっと違和感のある「など」が見つかりました。

Lion Server:ワークグループマネージャで Active Directory のコンピュータリストを作成できない - Apple サポート (日本)

「+」アイコンをクリックして、お使いのドメイン名を最後に付けた Active Directory エントリを追加します (「/Active Directory/EXAMPLE/example.com」など)。

Lion Server: Workgroup Manager may be unable to create a computer list in Active Directory - Apple Support

Click the "+" icon and add the Active Directory entry that ends with your domain name (for example, /Active Directory/EXAMPLE/example.com).

この文章では、「/Active Directory/EXAMPLE/example.com」の他に同種類のものがあるといいたいのでしょうか? これを読んだユーザーが入力する可能性のある多数の文字列の一つがこれということはありませんよね。そのユーザーが使うドメインexample.com以外のはずですので。「/Active Directory/EXAMPLE/example.com」は、「お使いのドメイン名を最後に付けた Active Directory エントリ」の例を示しているにすぎないので、「/Active Directory/EXAMPLE/example.comなど」ではなく「たとえば/Active Directory/EXAMPLE/example.com」が妥当ではないでしょうか。

IBMの3層アーキテクチャーとは

アーキテクチャのtierについて調べていたときに見つけたページです。

3層アーキテクチャーとは | IBM

アプリケーションを3つの論理層と物理コンピューティング層に分離する3層アーキテクチャーは、従来のクライアント/サーバー・アプリケーション用の優れたソフトウェア・アーキテクチャーです。

これを読んで思ったのですが、IBMの「3層アーキテクチャー」の「層」は全部でいくつあるのでしょうか?

このページの本文には、もう少し詳しい説明があります。

3層アーキテクチャーとは

3層アーキテクチャーは、アプリケーションを、プレゼンテーション層(つまりユーザー・インターフェース)、アプリケーション層(データの処理が行われる)、データ層(アプリケーションに関連付けられたデータの保存と管理が行われる)の3つの論理層と物理コンピューティング層に編成する、定評のあるソフトウェア・アプリケーション ・アーキテクチャーです。

プレゼンテーション層・アプリケーション層・データ層の3つの論理層に加えて物理コンピューティング層があるので合計4つということでしょうか。

英語版のページの構成は少々違っているのですが、次の記述があります。

What Is Three-Tier Architecture? | IBM

What is three-tier architecture?

Three-tier architecture is a well-established software application architecture that organizes applications into three logical and physical computing tiers: the presentation tier, or user interface; the application tier, where data is processed; and the data tier, where application data is stored and managed.

英語版のthree logical and physical computing tiersが、日本では「3つの論理層と物理コンピューティング層」になっているようです。名詞の複数形に形容詞が2つ付いている場合に形容詞1+名詞と形容詞2+名詞のように訳す習慣がここでも出てきたのかもしれませんが、訳した文章を読み直して意味が通じるかどうかを確認していただきたいものです。このページには、あとのほうに「繰り返しますが、3層アーキテクチャーの主要なメリットは、機能が論理的、物理的に分離されていることです。」という記述もありますので。

ちなみに、この日本語版ページのメタデータの説明はすっきりしているので3つだとわかります。

www.ibm.com

動詞designの訳は「設計する」だけなのか

designという動詞を見るとつい反射的に「設計する」(見た目に関する記述なら「デザインする」)と訳してしまいますが、それではしっくりしないケースもあります。

自分が遭遇したのと似たような例を見つけました。

blogs.nvidia.co.jp

Spectrum-XGS Ethernet は、 NVIDIA Spectrum-X Ethernet プラットフォームに追加された画期的な技術であり、スケール アクロス インフラを導入することで、これらの制約を解消します。Spectrum-XGS Ethernet は、スケールアップとスケールアウトを超えた AI コンピューティングの第 3 の柱として機能し、その非常に優れたパフォーマンスとスケールを拡張することで、複数の分散されたデータ センターを相互に接続して、ギガスケールのインテリジェンスを可能にする大規模な AI ファクトリーを形成するように設計されています。

「Spectrum-XGS Ethernet は、スケールアップとスケールアウトを超えた」で始まるセンテンスはかなり長いのですが、最後まで読むと「ように設計されています」で終わっていて拍子抜けします。この文章で言いたいこと、つまり強調したいことは「設計されています」なのでしょうか?

 

nvidianews.nvidia.com

Spectrum-XGS Ethernet is a breakthrough addition to the NVIDIA Spectrum-XEthernet platform that removes these boundaries by introducing scale-across infrastructure. It serves as a third pillar of AI computing beyond scale-up and scale-out, designed for extending the extreme performance and scale of Spectrum-X Ethernet to interconnect multiple, distributed data centers to form massive AI super-factories capable of giga-scale intelligence.

英語版を見ると、「It serves as a third pillar of AI computing beyond scale-up and scale-out」と述べた後に「, designed for extending...」という説明を加えているのですが、日本語版にはこの構造が明確に反映されていないようです。英和辞典でdesignを調べると、たとえばコンパスローズ英和辞典には

[普通は受身で] 〈…〉(ある目的に)向けるつもりである, (—のつもりで)作る (as); 〈…〉計画する (≒plan).

のような説明があります。ですので、designed for以下で伝えたいことは目的であると解釈して、訳文を「…の第 3 の柱として機能しますが、その目的はその非常に優れたパフォーマンスとスケールを拡張して複数の分散されたデータ センターを相互に接続し、ギガスケールのインテリジェンスを可能にする大規模な AI ファクトリーを形成することです」のように構成するとわかりやすいかと思います。

蛇足ですが、このページにも「これにより」がありました。

本発表は、NVIDIA Spectrum-X や NVIDIA Quantum-X シリコン フォトニクス ネットワーク スイッチを含む NVIDIA のネットワーキング イノベーションの発表に続くものです。これにより、AI ファクトリーはサイト間で数百万台の GPU が接続されるとともに、エネルギー消費と運用コストが削減されます。

Today’s announcement follows a drumbeat of networking innovation announcements from NVIDIA, including NVIDIA Spectrum-X and NVIDIA Quantum-X silicon photonics networking switches, which enable AI factories to connect millions of GPUs across sites while reducing energy consumption and operational costs.

「これにより、AI ファクトリーはサイト間で数百万台の GPU が接続される」はちょっとわかりにくいので、もう少し内容を消化してから訳文を作るようにしたほうがよいかと思います。