IT翻訳者の疑問

この業界に入って約20年。私の疑問は相変わらず解決しません。

メモリーの再利用性はそんなに大事なことなのか

9月28日の日記にいただいたコメントを読んで思い出したのですが、私もずっと前、「翻訳メモリーを再利用できるように訳せ」という指示をもらったことがあります。そのセンテンスがどんな文脈に出現しても訳がそのまま使えるようにしろということですが、当時は私もおとなしく従ってました。よく考えると、TMの再利用性を優先するなんてナンセンスですけどね。最近では、Tradosなどの翻訳メモリーツールにもコンテキストマッチ機能が追加されたこともあり、再利用性のことをうるさく言われることもなくなりました。TMのオーナーがTMの管理に手間暇かけていられないというのもあるかもしれません。
しかし、最近では再び、再利用性のことを言われることがあるそうです。私自身の経験でも、Trados以外の翻訳支援ツールを使う機会が増えてきましたが、新しいツールはTM管理機能が今一つのことが多いような気がします。おそらく、そういうツールがコンテキストマッチにまで対応していないので、原文と訳文を1:1にして次回アップデートのときは100%マッチ分を何もしないで済ませたいのでしょう。そうでなければ、10年前から考え方が変わっていない人がリードをやっているのか。
でも、エンドユーザーにとっては、そんな裏事情はどうでもいいことですよね。9月28日の日記で取り上げたMSのWebサイトがどういう工程でローカライズされているかは知りませんが、「日本語がちょっと変なのはツールを使っているから」という言い訳は、ローカライズ業界内でしか通用しないでしょう。他の分野の人にまた馬鹿にされてしまいますよ。

原文著者が伝えたいことを理解しなくて翻訳できるのか?

しばらく翻訳の仕事が続いていて、私にとっては比較的平穏な日々でしたが、レビューの仕事が回ってきてしまいました。オンサイトの仕事だとしかたないですね。レビューの対象はソフトウェア開発者向けのドキュメントなので、間違いなく「IT翻訳」に分類されるものですが、色々な点で相変わらずで、ため息が出てしまいます。英語の原文の著者が伝えようとしたことを理解しようとしていない翻訳者が、一人や二人じゃないんです。「ITだから原文に忠実に訳しておけばOK」などという翻訳会社がないわけではありませんが、「原文に忠実」って「英文の構造を忠実に日本語訳に反映」ではありませんよね。でも、そういう翻訳者が今まで仕事を続けてきたということは、そういうやり方が受け入れられているということですね。一体だれが受け入れているんだ。
私のところに回ってくるような案件に似た文書はいくらでもWeb上で見つかります。たとえば、http://msdn.microsoft.com/ja-jp/library/bb399127.aspxの書き出しの文章である

Team Foundation ビルドのプロジェクト ファイルである TFSBuild.proj は、SolutionToBuild 項目グループのビルドに対してプロパティとターゲットを渡すことで、カスタマイズできます。 SolutionToBuild 項目グループのビルドに対してソリューションの追加や削除を行うこともできます。

は英語から翻訳されたものですが、この文章ってわかりやすいですか? 原文は

The Team Foundation Build project file, TFSBuild.proj, can be customized by passing properties and targets to the build in the SolutionToBuild item group. You can also add or remove solutions to build in the SolutionToBuild item group.

ですが、日本語訳は正しいと言えるでしょうか? 「SolutionToBuild 項目グループのカスタマイズ」というタイトルの文章なのに、「カスタマイズできます」はあえて強調する必要があるのでしょうか。強調といっても、太字にするとか音量を上げるとかではなくて、著者が読者に伝えたい「新情報」のことです。私がふだんの仕事で扱う文章のほとんどはプロのライターが書いたものであり、したがって論理的な文章の書き方がされているはずなので、日本語に訳すときもその論理の流れをくずすべきではないと思います。上に挙げた例はまだ短いほうですが、もっと長いセンテンスを日本語でも無理矢理1センテンスで訳してしまう人は結構います。わかりやすく伝えようとしたら、逐語訳から一歩踏み込んで文の構成を考え直すことが必要だと思います。とりとめのない感想ですが、レビューの仕事をしているとストレスがたまってしまうので、つい書き散らしてしまいました。

マイクロソフトのスタイルガイド更新

http://www.microsoft.com/Language/ja-jp/Default.aspxの「最新のブログ記事」の下に「New and updated Microsoft Style Guides for 38 languages released」というリンクがありますが、マイクロソフトの公開用スタイルガイドが更新されたようです。リンク先の投稿の日付は8月11日になっていますが、ダウンロードしたPDFの中には「Last Updated: February 2011」と書かれています。
前のバージョンの公開版と何が変わったか? まず、日本語スタイルガイドなのに英語で書かれているところでしょう。もっとも、日本語に限らず、他の言語でもそうなっています。他の企業のプロジェクトでも、英語で書かれたスタイルガイドは最近よく見かけます。管理する側はやりやすいかもしれませんが、使う側にとってはかなり使いにくくなっています。こういう仕事をしてるので英語ぐらいは読めますが、斜め読みができないんですよね。このMSスタイルガイドは全部で79ページもあって、知りたい情報がなかなか探し出せません。構成を全言語で統一したのかどうかは知りませんが、前後の脈絡がないんですよね。使う側の理想を言わせてもらえれば、最低限守る必要のある規則と、それ以外のガイドラインは分けた方がよいと思います。「Avoid using “〜させる” unless it is necessary.」などというガイドラインを書き出したら、きりがないので。前のバージョン(日本語スタイル ガイド公開版第1版)はまだ、MS以外の人にとっても参考になるものでしたが、今回のは正直どうなんでしょう。

MTの出力は読みにくいままでも受け入れられるのか

先日、某所でMTポストエディットの作業指示のようなものを見せてもらう機会がありました。翻訳の対象は私がふだんの仕事で受注しているようなマニュアルですが、その作業指示は一言でいうと「できるだけ手間をかけない」というものでした。機械翻訳の出力が正しければ、読みにくくてもOKということです。これは、やってみると結構苦痛だと思います。なぜなら、いつものように訳を仕上げるのではなく、機械に合わせないといけないから。でも正確でも読みにくい文章って、ユーザーにとって価値はありますか? セキュリティ脆弱性情報のような、緊急性のあるものはそれでもいいかもしれませんが、マニュアルはずっと使われるものですよね。ならば、もう少し手間をかけてきちんとしたものにしたほうがよいと思います。なのに「読みにくくても正確ならばよい」などと言われると、翻訳者としての今までの努力を否定されたような気分になります。
ただ、機械翻訳じたいはなくなることはないと思います。今のやり方がよいとは思いませんが、機械にできることは機械にやらせればいいじゃないですか。UI辞書を検索してダイアログ名やらボタン名やらを日本語ストリングで置き換えるとか、そういう作業はいい加減機械化してほしいものですが、未だ人力なんですよね。

「簡易なレビュー」

私のところにはTrados 2009を使う仕事の話は数えるほどしか来ていないのに、近々2011がリリースされるそうで、自宅のメールアドレス宛てにもダイレクトメールがちょくちょく来るようになりました。それは2011の特長を紹介しているもののようで、先日来たメールの件名には「容易なレビュー」と書かれていました。しかし、メール本文に書かれている「詳細については」のリンクをクリックすると、リンク先には「簡易なレビュー」というタブがあります。そこをクリックすると、メールに書かれていたのと同じような箇条書きがあるので、同じものを指していると思います。メール(HTMLメール)の画像には高速鉄道の駅名のつもりなのか「EASY REVIEW」という文字があるので、これをそのまま訳したのでしょう。すでに表現が統一されていませんが、大丈夫なのでしょうか。Trados 2011関連のダイレクトメールとWebサイトがどういう工程で作られたのかは知りませんが、いくらツールが進化しても、口で言うほど「統一」は簡単ではないというのがよくわかります。
ちなみに、「簡易」だと、フルレビューではなく何かを省くというイメージがあるし、「容易」だと、それまでは難しかったことになります。その前のダイレクトメールでは「レビューを効率化」という表現が使われていましたが、こちらのほうがよいと思います。