IT翻訳者の疑問

この業界に入って約20年。私の疑問は相変わらず解決しません。

MTの出力は読みにくいままでも受け入れられるのか

先日、某所でMTポストエディットの作業指示のようなものを見せてもらう機会がありました。翻訳の対象は私がふだんの仕事で受注しているようなマニュアルですが、その作業指示は一言でいうと「できるだけ手間をかけない」というものでした。機械翻訳の出力が正しければ、読みにくくてもOKということです。これは、やってみると結構苦痛だと思います。なぜなら、いつものように訳を仕上げるのではなく、機械に合わせないといけないから。でも正確でも読みにくい文章って、ユーザーにとって価値はありますか? セキュリティ脆弱性情報のような、緊急性のあるものはそれでもいいかもしれませんが、マニュアルはずっと使われるものですよね。ならば、もう少し手間をかけてきちんとしたものにしたほうがよいと思います。なのに「読みにくくても正確ならばよい」などと言われると、翻訳者としての今までの努力を否定されたような気分になります。
ただ、機械翻訳じたいはなくなることはないと思います。今のやり方がよいとは思いませんが、機械にできることは機械にやらせればいいじゃないですか。UI辞書を検索してダイアログ名やらボタン名やらを日本語ストリングで置き換えるとか、そういう作業はいい加減機械化してほしいものですが、未だ人力なんですよね。

「簡易なレビュー」

私のところにはTrados 2009を使う仕事の話は数えるほどしか来ていないのに、近々2011がリリースされるそうで、自宅のメールアドレス宛てにもダイレクトメールがちょくちょく来るようになりました。それは2011の特長を紹介しているもののようで、先日来たメールの件名には「容易なレビュー」と書かれていました。しかし、メール本文に書かれている「詳細については」のリンクをクリックすると、リンク先には「簡易なレビュー」というタブがあります。そこをクリックすると、メールに書かれていたのと同じような箇条書きがあるので、同じものを指していると思います。メール(HTMLメール)の画像には高速鉄道の駅名のつもりなのか「EASY REVIEW」という文字があるので、これをそのまま訳したのでしょう。すでに表現が統一されていませんが、大丈夫なのでしょうか。Trados 2011関連のダイレクトメールとWebサイトがどういう工程で作られたのかは知りませんが、いくらツールが進化しても、口で言うほど「統一」は簡単ではないというのがよくわかります。
ちなみに、「簡易」だと、フルレビューではなく何かを省くというイメージがあるし、「容易」だと、それまでは難しかったことになります。その前のダイレクトメールでは「レビューを効率化」という表現が使われていましたが、こちらのほうがよいと思います。

動詞「tweet」の訳し方

最近は私のところに回ってくる英日翻訳の案件でも「ソーシャル」関係のものが増えてきて、たとえばTwitter, Inc.以外の会社のサービスとTwitterとの連携について述べているような文章がちらほら現れるようになりました。ここで問題になるのがTwitter固有の用語の訳しかたです。クライアントは別の会社なので、基本的にクライアントから支給される用語集には載っていません。ある翻訳者はtweetという動詞を「つぶやく」と訳していましたが、これは正しい訳でしょうか?
確かに、日本語のWebサイトにある水色の正方形に「t」のボタンには、「この記事についてつぶやく」などというAltテキストがくっついていたりしますので、Webで普通に使われている「つぶやく」が正しいといえないこともありません。あるイベント会場で並んでいたときに、後ろにいた人(30代後半ぐらいの女性)が連れの人に向かって「今からつぶやく!」と言うのを聞いたことがありますが、何かにつけてtweetする人って結構いるんだと感心してしまいました。
でも、twitter.comのヘルプをみても、「つぶやく」という表現は使われていないんですよね。日本語の「つぶやく」は「小声でひとりごとを言う。」(大辞林)で、せいぜい近くにいる人にしか聞こえませんが、Twitterのtweetはひとりごとどころか、全世界に聞こえてしまいます。口で言う「つぶやき」はすぐに消えてしまいますが、tweetは本人が消去しない限りずっと残ります。この「つぶやく」という表現のせいで、かなりのTwitterユーザーが誤解をしているのではないかと思います。有名人の悪口だの飲酒運転しましただの、それを読むのは自分の親しい友達だけで、すぐに忘れ去られると思っているのではないでしょうか。
Twitter関係ではもう一つ、mentionという動詞があります。これも、正式にはどう訳すのかがわからなかったとき、Twitter.comのヘルプを見てびっくりしました。今はTwitter.comのヘルプでも「メンション」という表現が使われているので「メンション」でよいのだと思いますが、少し前に見たときは確か「@関連」だけでした。何をどうしたらこういう表現になるのか、しばらく悩みました。

social networking=「ソーシャルネットワーク」?

http://japan.cnet.com/news/service/35005216/に、このような記述がありました。

ソーシャルネットワーク参入に向けたGoogleの最新の取り組みである「Google+」のユーザー数が1000万人に達したことが正式に明らかにされた。

私の知り合いはだれもGoogle+を使っていないようで、したがって私自身もまったく使っていませんが、Googleは「ソーシャルネットワーク」に参入しようとしているのでしょうか。
この記事の原文(http://news.cnet.com/8301-1023_3-20079567-93/google-officially-tops-10-million-users/)では、

Google's latest social-networking experiment is officially 10 million users strong.

と書かれています。「social-networking experiment」を意訳した結果、「ソーシャルネットワーク参入に向けた取り組み」になったとも解釈されるのですが、どうも例の「英語の単語をそのままカタカナ表記するときに原語の語形変化を無視するという規則あるいは慣習」が影響しているように見えてしまいます。
そのような規則や慣習の存在については、未だによくわからずにいますが、語形変化の前と後で意味が同じならカタカナ語として区別する必要はないという趣旨の文書を少し前に見かけたことがあります。確かに、SNSが「ソーシャルネットワーキングサービス」でも「ソーシャルネットワークサービス」でも、普通の日本人にとっては大した違いはないかもしれません。しかし、Googleが参入しようとしているのは「ソーシャルネットワーク」でしょうか。英和辞典でも、networkingは独立した項になっていて「(人との)ネットワーク作り.」(研究社新英和中辞典)といった語義が載っています。SNSのユーザー全員が1つのネットワークを構成しているという考え方もあるかもしれませんが、ネットワークはユーザーひとりひとりが作るものだと思います。
ですから、「Facebookは世界最大のソーシャルネットワークである」などという表現は、他の人が使っていてもいちいち指摘したりはしませんが、英日翻訳者としては使いたくありません。networkingが形容詞として使われているときは「ネットワーク」でよくても、可算名詞のnetworkとの区別が必要であるときは、もう少し考えたほうがよいと思います。安易にカタカナ語を作るのはよくないのですが、最近では英語圏から入ってきて定訳を決める暇もないうちに広まってしまう概念が多いんですよね。「コーチング」とか、下手に訳すと通じなくなってしまいますし。

TradosのWebサイトがマーケティング翻訳のお手本になりそうにない件

先日、オンサイトの仕事に行ったら、そこの会社で用意してもらったメールアドレスあてにTrados Studio 2009のダイレクトメールが来ていました。コスト削減を売りにしてますが、同じものを二度訳さないようにしたければ、翻訳メモリーの維持管理に相当の手間暇がかかるということは書かれてませんでした。そりゃそうだ。
他にも、2009を使うとこんなことができるという記述があったような気がしますが、その中に「SDLチームソリューション」と「SDLサーバーソリューション」へのリンクがあったので、リンク先を見てみたらこんなことが書いてありました。

http://www.sdl.com/jp/language-technology/landing-pages/perfect-landscape/sdl-team.asp
チームのスイート製品では、業界をリードするSDLのサーバーテクノロジのメリットをすべて活用できますが、現時点ではSDLサーバーが提供する大規模なプラットフォームは必要でない小規模な環境にも対応します。

「現時点では、〜にも対応します。」…そのうち対応しなくなるのでしょうか。

SDLの堅牢なテクノロジアーキテクチャを基盤としたSDLチームの最新バージョンでは、SDLのサーバースイートの、インターネットベースのファイル共有を含むすべてのアプリケーションを使用することができます。 ただし、サーバーとは異なり、SDLチーム製品は、Microsoftのエントリーレベルの無料データベース製品、MS SQL Server Express上で稼動できます。デスクトップをスタンドアロンアプリケーションとして使用することで、ソリューションを強化したい企業に理想的なソリューションです。

「ソリューションを強化したい企業に理想的なソリューションです。」…この「ソリューション」って何のことでしょうか。さかのぼっていくと、ページ先頭の画像に重ねて表示されている「SDLチームソリューションのパワーを体験してください」というテキストに「ソリューション」がありますが、企業が強化したいソリューションって一体何のことでしょう??
英語版のページには、こう書かれています。

http://www.sdl.com/en/language-technology/landing-pages/perfect-landscape/sdl-team.asp
The Team suite provides users with all the benefits of SDL’s market leading Server technology, but on a smaller scale, making it perfect for those who do not currently require the much large platform provided by SDL Server.

Built on SDL’s robust technology architecture, the latest version of SDL Team offers users all of the comprehensive application found in SDL’s Server suite, including internet based file sharing. Unlike Server however, SDL Team products can run on MS SQL Server Express – Microsoft’s free, entry level database offering, making it the ideal solution for companies wishing to make the step-up from using Desktop as a stand-alone application.

「The Team suite」のメリットをアピールする、よくあるトーンの英文ですが、なぜ日本語版ではあれほどわかりにくい文章になっているのでしょうか。
まず、「Team」や「Server」というキャピタライズされた単語が、日本語版では一般名詞と区別が付かなくなってしまっているという問題があります。だから「サーバーとは異なり」の「サーバー」が「SDLのサーバースイート」と同じものであるということがわかりにくい。Server technologyというのは、以前からある製品のテクノロジーのことですよね。ただ、Server製品は大きな企業向けで、したがってお値段もそれなりにするので、導入をためらっていた企業向けにon a smaller scaleで新たに発売したのがThe Team suiteなんだと思います。それをなぜ「対応します」などという表現でお茶を濁したのか。
次の段落も、英語版と日本語版で大きく意味が違ってしまっています。特に最後のところですが、「companies wishing to make the step-up from using Desktop as a stand-alone application」と「デスクトップをスタンドアロンアプリケーションとして使用することで、ソリューションを強化したい企業」とでは、言っていることが全然違います。英語版のテキストは、翻訳者が各自のローカルディスクに翻訳メモリー(TM)を持つという形態から、TM共有という形態にステップアップすることを指しているのでは?
想像ですが、日本語に訳した人は(翻訳したものとはどこにも書かれていませんが、日本語で書き起こしてこうなるとも思えないので翻訳物と見なします)、Desktop、Server、Teamの違いがよくわかってなかったのだと思います。売り込もうとしている製品のことを知らなかったら、マーケティングの文章なんて書けませんよね。たとえば「on a smaller scale」が抽象的すぎてわからなかったら、製品カタログを見てユーザー数の上限を調べるとか、書いた人に尋ねるとかすればいいのに。このページがどういう工程で作られたのかは知りませんが、制作時点で予算とかスケジュールとかマネジメントとかの問題があったとしても、エンドユーザーは「そういう事情があるのだから、わかりにくくてもしかたないよね」とは思ってくれません。これは別にSDLに向かって上から言いたいのではなく、自分に言い聞かせているのです。
こういう感じのドキュメントの翻訳は、時々私のところにも回ってきますが、どこの会社のをお手本にしたらいいんでしょうね。アップルの日本語版Webサイトは力を入れて作られていると思いますが、しばらく読んでいると「もう結構です」という気分になってきます。テレビでもiPadとかのCMが流れてくると、なんかむずむずしてチャンネルを変えたくなります。なぜだろう。アップルを好きな人には申し訳ないのですが。全体の構成はそのままでテキストだけ日本語にしても、「初めから日本語で書かれたような文章」にするのは無理なのかもしれません。

最近の翻訳会社(というかMLV)

  • 以前では考えられなかったような、無茶苦茶な条件で仕事を受注してくることがあるようです。たとえば3日で3万ワードとか。例の翻訳支援ツールを使うと10時間ぐらいでできることもあるらしいですが、私のところに来るような案件では、通常は1日2,000ワード、がんばっても3,000ワードがやっとだと思います。ではどうやって3日で終わらせるかというと、翻訳者を10人集めて1人当たり3,000ワードやらせるんだそうです。編集やチェックをいつやるのかは知りませんが。なんでそんなに急いでやらなければいけないのか。
  • 私個人の経験では、小さいファイルばかりで合計3万ワードもあるような案件だと、結構繰り返しが多いので、1人が担当する分量が多ければ多いほど効率も品質も良くなるはずです。そうでなくても、3万ワードのうちの3,000ワードなんて、どういうドキュメントかを考えているうちに終わってしまいそう。
  • その繰り返しですが、未だに「頻出分節を先行翻訳」するしかないんでしょうか。Trados Studio 2009でも、cross-file repetitionsのカウントはできても、処理は自動的にはしてくれないと聞いてがっかりしてます。本当に自分たちで使ってるのだろうか。IdiomのWorkbenchですら、繰り返しセグメントを初出とそれ以外に分けてマーキングしてくれるのに。
  • 翻訳会社としては、repetitionに関しては何も前処理しないで黙って翻訳者に渡すのが一番楽なんでしょうね(特にやっつけ仕事の場合)。でも、翻訳者にしてみればいい迷惑です。repetitionの分の報酬はよくて新規の10%、ひどいとゼロですから。本来のrepetition(自分が訳したものが別の箇所に出現する)のならまだしも、全体で2回しか出現しない分節が翻訳者Aと翻訳者Bの担当分に1回ずつ出現すると、片方はrepetitionなのに新規翻訳しなければならなくなります。100ワードぐらいなら面倒なので黙ってやりますが、ある程度の量があるようならば、repetitionのセグメントを翻訳対象から除外するよう、翻訳会社に訴えるべきです。ただ働きになるだけでなく、せっかく訳しても使われない可能性があるのでは馬鹿馬鹿しいので。
  • 相変わらず、バイリンガルファイルだけを翻訳者に渡して翻訳させればローカライズ一丁上がりと思ってる自称ローカリゼーションベンダーがいます。文脈がわかるものを欲しいと訴えると「クライアントからもらっていないので」……そういうのを子供のお使いというのでは。
  • 文脈といえば、ソフトウェアのUIもドキュメントと同じように翻訳者に翻訳させる自称ローカリゼーションベンダーがいて困っています。UIって1日2,000ワード翻訳できるかどうかわからないでしょ? 作業用ファイルを見ると、単語が並んでいるだけで、スクリーンショットもなければ製品情報も全くない状態で、いつものレートでしれっと発注してこようとするので、あれこれ抗議するものの、全然わかってくれません。そういうわけで、UI翻訳は断ることにしています。